眠れない夜
気がつけば5日ほど過ぎていた。ブログを更新するのを忘れているくらい充実していると解釈してもいいのだろうか。悩みどころである。
そして、いまブログを書こうと思ったのは決して時間に余裕があるからではない。なぜか寝れないからである。なにかをアウトプットすれば寝られるかもしれない。ただそれだけのことである。
寝られない日はいつも考え事をしてしまう。そして負の連鎖が始まる。考えて考えて寝られないのだ。
題材は無くても無理やり作る。作りたくもないのに、頭に浮かんでくる。今日の出来事、明日の予定。。。
さいきんはこのようなことがあるたびに「スタンフォード式の最高の睡眠」の本を買いたくなるほどだ。しかし買っても読まない。それを枕にして寝るだけかもしれない。
また、最近英語をしていない。しなければいけないことはわかっている。あと1ヶ月でTOEICだ。
まだ単語しかしてない。しかも400ほどしか覚えていない。1ヶ月でリスニングも文法を叩き込まなければいけない。できるだろうか?
やるしかない。
しかし
先ずは寝よう
おやすみなさい。
ハロウィン
今日は、ハロウィンだ。
騒げる日もあっていいのではないかと私は思う。
最近、英語のやる気が出ない。昨日はサボってしまった。
今日はするつもりだが、また頑張ろうと思う。
犠牲
ふと、思う。私はいまなにをしているのだろうか。なんのためにしているのだろうか。
いま、過ごしている日常。
勉強、運動、仕事、なにもしていない。
なんでもいいが人々は同じようなサイクルで過ごしていると思う。
そこで24時間使っているのである。
ここで「挑戦」とは言い換えれば「犠牲」である。
新しいことにチャレンジしようとするのであれば、いままでの時間の中に組み込まなければいけない。ようするに、いままで過ごしていたどこかの時間を使うことになる。
だから私は挑戦は犠牲だと思う。
しかし、挑戦はすばらしいことだ。
自分のなかのなにかを変えるということである。なかなかできない。少しのことでもいいから変えていく感覚を身につけると、大きな変化にも慣れやすく、社会の変化にも適応できるのではないかと思う。
学校
寒い日が続いていたが、今日は太陽が出る暖かい日となった。こんな日に外に出て遊ぶとさぞ気持ちいいだろうと思いながら、教室という牢屋に監禁される。しかも明日は台風が来るようで雨だ。なぜ週末に雨なんだろう。私たちを晴れやかな気分で外に出したくないのか?
我々は家に引きこもって勉学でもしてろということなのか?
小さいお子さんがいる家庭は雨で遊びに連れて行かず大変そうだ。
さて、今回はいつもとは少し違ったことを書こうと思う。
学校についてだ。
学校とはwikiによると、
「幼児・児童・生徒・学生その他に対する教育制度の中核的な役割を果たす機関。」
である。
まぁ分かりにくいが、要するに教育を受けるところだ。そこで教育とはなんだろう。
「教えて知能をつけること」らしい。
なんと抽象的だろう。
なにを教えるのかが書かれていない。これを決めるのが学校であると思う。
ここで思う。
ここで小学校から振り返ってみたいと思う。
小学校は特に低学年はなにをわからず、とりあえず友達を作り、分け隔てもなくみんなと仲良く遊ぶ。先生もそれを助長している。この時点では教育として勉強を教えていない。生き方といえば大層なものだが、これからの人生に必要なコミュニケーションスキル、対人スキルを身につけることを目的としているのだろうか?
そして、高学年、では勉強が始まる。
しかし初歩的なことであり、基礎の基礎である。章立てすると0章である。
これは勉強をする習慣をつけることが目的だと考えられる。ここで教育というものが、生き方+勉学になっていく。
中学校。
ほとんどの生徒は勉強なんてものは頭になく、遊ぶことかクラブのことだけを考えていたことだろう。勉強なんてしなくても大丈夫と思っている人もいれば、成績!と思って頑張ってる人もいることだろう。
しかし、そんな成績にとらわれないでほしい。成績が悪くても案外どうにかなるものである。
正直、中学校で扱っているものなど、わかっていなくても高校生になればなぜか分かるようになる。そういうものである。
また中学校の授業は、具体例が示されない。これが将来どう役に立つのか、日常ではどのように使われているのか。これを主に教えてくれたほうが興味が湧くだろう。中学校の勉強は所詮、「テストで点を取るためだけの授業である。」
次に、高校だ。
ここまで書いたが、結局言いたいことは、学校の勉強は将来のための勉強ではなく、テストで点を取るためだけの授業だ。こんなものに意味などない。ほとんどの人が一夜漬けだろう。いや、朝に覚える人もいるかもしれない。
スティーブ・ジョブズでさえも大学を中退し、興味のある授業だけを受けるようになったと言っている。私はそれが最善だと思う。もちろん学歴も大事である。第一印象はそこだろう。しかし、学歴があっても無能な人はいる。
結局社会は、頭の良さではなく、頭の回転と、コミュニケーション力である。これさえあればなんとかなると思う。
だから、学校では机に座ってひたすら板書をするといった無駄なことは極力控え、コミュニケーション力を鍛えるものを積極的に行えば良いと思う。
賛否両論あると思うがこれは、一学生の戯言なので、そういう意見もあるのだと捉えて頂ければ幸いです。